「民」富論

「前半はとっても納得。でも、後半は悩ましいところ…。」
"誰もが豊かになれる経済学" なんだそうな。その骨子は、みんなが貯蓄すれば、経済が停滞する。みんなが消費すれば、贅沢はできる。…といったところか。一人だとできるが、みんなではできないこと、逆に一人ではできないけれども、みんなでならできることがあるってゆー話から、こーゆー結論が導き出される訳だけれども、このあたり、特に異論はない。

「赤字財政は国民への贈与」なんてのも、言われてみれば、その通り。「日本人の方が GNI は多いのに、生活水準はイタリアの方が上」なんてゆー話も面白い。住宅の平均寿命が短いから、余計なモノを作って壊しているだけで、GDP が増えても生活水準は良くならないんだそうな。こーゆー話もなかなかおもしろい。経済学者ではない堂免氏は元エンジニアだそうで、経済学の常識にとらわれない一風変わった視点からモノを見ておられるのだろう。その発想が個性的でおもしろく、一読の価値がある。

ただ、「んぢゃ、この先、どうすればいいの?」ってゆー話は、どーも素直に受け止められない。どこがどーおかしいのかを説明するのは力量が及ばないし、もう少し読み込まなければならないのだが、一点だけ。

堂免氏の主張は、「地産地消」だ。みんなで協力して、国内のモノを買おう! そーすれば、みんなの所得が上がって、豊かになってゆくんだぜ〜ってゆー話だ。

かつて、"ワーキングプアは自己責任か - Tommy Heartbeat 2nd" で、こんなことを書いた。

良いものを作ったり、良いサービスを提供したりしても、それに対して対価を支払ってくれる人がいなければ商売は成り立たない。だから、儲けたいなら、ワーキングプア問題を解決して、お金を払ってくれる人を増やすことは大切なことなのだ。みんなの幸せは自分の幸せって訳だな。

そーゆー立場からすると、堂免氏の主張を応援したくなる気持ちはあるのだが、「より安いモノがあれば、そっちを買う」のが合理的な消費者の自然な行動な訳で、「協力して、高いけど、地産のモノを買いましょう。」ってのは、実現には無理がある。ゲーム理論ぢゃないけれど、みんなで幸せになることよりも、自分の幸せが大事な人がいることは明白だから、全員で合理的な行動をするってのは実現しない。そう思ってしまうと、堂免氏の主張が "絵に描いた餅" だと云う印象から、どーしても抜けられないのだ。

はてさて、実現性を欠いた理想なのか、それとも、私の浅知恵故の勘違いなのか…。いかがなもんだろう?

「民」富論 誰もが豊かになれる経済学 (朝日新書 95)

「民」富論 誰もが豊かになれる経済学 (朝日新書 95)