日本サッカーと「世界基準」

「いいねぇ〜、セルジオ越後氏は。」
世界基準ってか、ブラジルとの対比がほとんど。世界一のサッカー王国ブラジルで育ち、ブラジル代表候補まで行った人だから当然か。話題は、日本代表からサッカー文化まで多岐に渡る。日本のサッカー界全体に対する提言なとなっている。

現在、私は三つのスタイルでサッカーに関わっている。一つは観戦。プロサッカーやフットサルを観て楽しんでいるし、日本代表の試合で一喜一憂していたりもする。二つ目はプレイヤー。週末にはフットサルコートへ出かけていって、ワイワイガヤガヤと仲間と玉蹴りを楽しんでいる。三つ目は選手の育成。…と言っても、小学校三年生の息子と一緒に遊んでいたり、彼が通っているサッカークラブへ見学に出かけたりといった程度だが…。(^^;

で、その三つのいずれの立場でも、本書は役に立つ。プロサッカー選手を甘やかすのは、サポーターの責任もあるとか、自分がうまくなるためには、どーしたらいいのかとか、若手を育てる土壌とはどーゆーものなのかとか、いろいろ書いてあるのだ。

本書の大部分は、セルジオ越後氏に賛成だ。サッカー部と言いながら、ボールに触れない無駄な時間を過ごすのはバカバカしいなんてのは、まさにその通り。サッカー部ぢゃなくって、球拾い部とか、応援部とでも呼ぶべきだろう…ってのは、大いに同意してしまう。他にも辛口、甘口でいろいろ書いてあって、蹴球が好きなら楽しめるに違いない。

ただ、根性論みたいな部分についてだけは異論を唱えたい。追い詰められた人間が成長するってのは一つの道ではあるけれども、十分条件でもないし、必要条件でもない。貧困層から這い上がってきた選手として、ジダンロナウジーニョの名前が挙がっているけど、貧困で挫折した人も数多くいるだろうし、貧困ぢゃなくて成功を手にした人もいるはずだ。違うスポーツだけど、ゴルフやテニス、フィギアスケートや F1 の有名選手って、貧困な幼少時代を過ごしてないんぢゃないかな? サッカーは例外だなんてことは絶対にない。

ブラジルが優秀なサッカー選手を数多く輸出しているのは事実だけど、ブラジルの環境ややり方が唯一絶対の方法ではない。例えば、日本はメディアやサポーターが諸外国と比べておとなし過ぎることが差として挙げられていたりするが、その部分での緊張感を取り込むとすると、罵詈雑言が飛び交う乱闘騒ぎまでセットになってついてくるだろう。それがいいのか? パンを盗んで生活していた幼少時代のおかげで、俊足が武器になったからと言って、パンを盗むことまで真似る必要はないのと同じように、要、不要の取捨選択が必要な訳だが、こんな感じで、ちょっとだけ著者の主張に納得できないところがあった。

そうは言っても、全体から見れば瑣末な話だ。日本サッカーの発展に大きく貢献している人であり、ブラジルにも詳しいし、ホントにサッカーのことを、サッカー文化のことを良く考えておられるから、耳を傾ける価値はかなり高い。

日本サッカーと「世界基準」 (祥伝社新書 (046))

日本サッカーと「世界基準」 (祥伝社新書 (046))