血液別性格分類

「血液別性格分類について、ちょっとだけ。」
血液型と性格に関係があるかどーかの前に、そもそも性格ってなんなの? ってところはどーなんだろうかと、いつも思うのだ。そこんとこって、誰も突っ込んでないよなぁ…。なんでだろう? 例えば、A 型は几帳面だとか、神経質だとかそーゆーふーに言われてるらしいが、何を基準に几帳面だの、神経質だのってゆー結論になるのだろうか?

毎日、机の上が綺麗に整理整頓されているとする。でも、それってただの生活習慣かもしれないし、机が汚いことを注意されるのが怖い臆病な気持ちの現れかもしれない。学校や職場の机は綺麗でも、家に帰ると部屋は散らかっているかもしれない。机と違って、ハードディスクの中は (机にかけて、デスクトップと言おうか?) ぐちゃぐちゃかもしれない。逆もある。いつもだらし無いカッコをしていて、髪型もボサボサだけど、昆虫の標本だけは緻密に作られていたり、プログラムを書かせてみたら、恐ろしいほどエレガントだったり…ね。すべてにおいて、几帳面な人、神経質な人もいるかもしれないが、フツーはいろんな側面を持っていて、一概に几帳面だとか、神経質だとか言えないハズだと思うのだ。

心の中と行動が一致するとも限らない。日頃、柔和な人が、実は心の中では「お前なんか、おっ死んじまえ!」とか思っているかもしれない。家に帰るとわら人形に五寸釘を打ち付けていたり…なーんてね。逆もある。ぶっきらぼうな言葉や攻撃的な言葉を使うけれども、実は捨て猫にミルクをやるような人だったり。優しい性格って、言動のこと? 行動のこと? それとも心の中のこと?

性格と表現されているモノはあまりにも曖昧過ぎるのだ。説明の便宜上で使用される便利な物ではあるけれども、何かとの関係性を問えるほどの確定的な何かではないんぢゃないかな?

それから、もう一点。脳科学や心理学の本を何冊か読めば、性格に該当しそうなことは、そのほとんどが後天的なものだとゆー結論になるハズ。周りの環境 (特に親) の思想や価値観、生活習慣や経験によって培われるものだ。もし、血液型で性格が決まると仮定すると、後天的な影響は受けないはずだから、前段の結論と矛盾してしまう。よって、仮定は誤りだとゆーことになるのだが…。

ただし…。まったく、無関係とも断言できない部分がある。性格のうちのものすごーくコアな部分 (まだ、名前もない何か) は、もしかしたら先天的な部分があるかもしれない。そー思うのは、親になって、生まれたての子どもが、工場から出荷されたばかりのプレーンなパソコンや、これから何が描かれるか楽しみな真っ白なキャンバスのようなものではないことを知ったから。生まれた瞬間から、何か性格のようなものがあるんだよねぇ…。例えば、一般的な表現で言うところの人見知りするとかしないとか。

ま、それが血液型と関係があるかどーかは分からない。もしかしたら、コア性格も血液型も、ある DNA に基づいているとゆー研究成果が、いつか発表される可能性はある。そーなれば、血液型と性格は同じ因子で決まる訳だから、結果的に因果関係があるように見えるってゆー結論になるかもしれない…、とは思っている。