自殺するなら、引きこもれ

「ま、教師も助けにならないからね。」
学校へ行かなくても人生には選択肢があることを示し、わざわざストレスの高い学校へ行って、剰え自殺を選ぶことなかれ、と云う趣旨で、タイトルをつけ、内容を取りまとめたのは分かるが…。話がちと冗長過ぎないか? 中高生らに伝えたいのか、その親たちの価値観を変えたいのか、それとも社会全般に訴えかけたいのか、そのあたりがはっきりしないで書いちゃった感じ。

学校制度の歴史、教科書の移り変わり、規範的ライフサイクルモデルの崩壊などなど…。書いてあることに異議はあんまりないのだが、ちと詭弁っぽいところもチラホラ。アイザック・ニュートンやトマス・エジソン、ましてスティーブ・ジョブズが登場するのはなぁ…。"落ちこぼれからしか天才は生まれない" とあるのだが、そーぢゃなくって、そーゆー道を辿った人は物語になりやすいだけのことだ。フツーに進学して、業績を残している人の方が圧倒的に多い。物語にならなかったり、大学名や企業名の陰に隠れていたりするが、落ちこぼれてなくても、天才と呼ばれるに相応しい人は大勢いる。落ちこぼれコースを辿っても可能性がゼロにはならないって話を、"落ちこぼれからしか天才は生まれない" とするのは、我田引水って感じ。テーマがテーマだから、あまり揚げ足を取るのは気が引けるけど…。

もちろん、多少の詭弁を取り上げて「だから無理してでも学校へ行くべきだ」なんて逆主張したりはしない。"自殺するなら、引きこもれ" は、まったくもってその通り。うちなんて「学校より図書館に通えば?」と親が言うくらいだ。もちろん、親は私だ。:-)

親の立場になって学校の教師と話をすると、言葉のキャッチボールが成り立たなくて、けっこうショックを受けたりなんかする。家庭訪問にやってきた担任と普通の会話をしただけなのだが、見えている世界がまるっきり違うのがはっきりと分かってしまう。「夢と希望に燃えて教職を選んだモノの、クレーマーのようなおバカな親たちに揉まれ続けて、教室と云う自分の世界を守るので精一杯になっちゃったんだろうか?」…なんて想像してしまった。梅田望夫氏の著書なんかを読んで、視野を広げておいてもらいたいもんだが、きっと知らないだろうなぁ…。そんな教室ワールドで生きている教師たちに、10 年後、20 年後の日本人を想像しながら、今、教えるべきことを考える、なーんてことは難しそうだし、子どもらが遭遇するであろう数々の問題を適切に解決に導いてくれるかどうかも、ちょっと怪しい感じ。人は部分最適化しちゃうからね。

これは、けして教師の質が低いとか言いたい訳ぢゃあない。去年、消費期限や産地偽装などが新聞、テレビを賑わせたが、根っこは一緒で、日本社会ってのはそーゆーところなのだ。怒られるのは嫌だから隠しちゃえってヤツ。問題を解決することよりも、問題を存在しないことにする方がラクチンだもんね。短期的には、ね。もちろん、立派な教師もいらっしゃるであろうが、全員に立派であることを強要することは不可能なこと。そーゆー社会構造の中で、運悪く犠牲になって、自殺なんて道を選ぶのはバカバカしい話。だから、子どもが学校へ行かなくても、ぜんぜんかまわないと思っている。学校は、無料で授業してくれて、一定の時間、面倒を見てくれて、成長具合を知る物差しにもなるが、しがみつくほど素晴らしいものでも、人生において必須のものでもない。国が提供する無料のサービスを有効活用するのだと思っているぐらいでいいんぢゃないかな?

そんな考えの私だから、この本のタイトルに目を引かれて読んだ訳だが…。さてさて、この本を読んだ大人たちの価値観に、少しでも影響を与えられるかどうかと云うと、ちょっと難しいかもしれないな…と。ひがみっぽい表現になってるのが気になるのだ。引きこもったら明るい未来があるってゆーよりも、なんとかとりあえずは生きてはいけそうだなぁ…みたいな印象で、対等な選択肢の一つとは思えなかったから。

さて、もし、子どもが大きなストレスを抱えて、引きこもったとする。この時、親はどーすべきだろうか? ここんところが分からないから、著者らの言う学校教に親たちはすがることになる。そして、逃げ場の無い子どもは…。…と云う訳で、親をターゲットにして、学校に行かない場合の子育て (教育) プランを次回作にされてはどうだろうか? 学校に行かないことが、十分に妥当な生き方の選択肢として受入れられれば、追いつめられた子どもの逃げ場ができるから。

今回は時間がかかってしまった。センシティブなテーマは疲れる…。