論より詭弁

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)

帯を目にしたのは、amazon から送られてきてからなのだが、その帯にある「論理的に考えてきて、何かトクしたことありますか?」の煽り文に衝撃を受けてしまった。トクしたも何も、論理的思考が必要なのは自明だと思っていたからだ。読み始めると、論理はしょせんは弱者の論理に過ぎず、強者には論理なんて必要ないと書かれている。振り返ってみればまさにその通りだ。

強者に論理を説明しては鼻で笑い飛ばされ、弱者に論理を振りかざしては大きく傷つけてしまうばかりだったような気がする。トクした経験があったかどうか定かではないが、どちらかと言えばいろいろとストレスを抱える原因になっていると言えるかもしれない。「なんで、世の中はこんなに論理が通じないんだ!」と。

本書にある通り、突き詰めてゆくと、そもそも本当の意味で論理的と云うのはあり得ない。言葉はシーケンシャルにしか情報を伝達できないから、物事を表現した瞬間から序列が生まれるし、接続詞で強調されるものが変わってしまったりもする。表現したものと表現しなかったものの間には差があるし、いくら論理的に表現しているつもりでも、どこかで無理が出てくる。詭弁とまでは言わないまでも、ある種の方向性や意思が意図せずとも含まれてしまうことは避けられない。そんな論理に捕われることに、どれだけのメリットがあるのだろうか? どうせ、対等ではない人間関係の中で、純粋培養の論理は十分に機能しないのだし。

「勝負に勝って試合に負ける。」本書を読むと、論理とはそーゆーものとゆーことになる。でも、論理が無駄だとは思わない。ただ、効果を生まない論理に捕われること無く、実際に物事を進めることができる手段を考えてみた方がいいと云うことに、本書が気付かせてくれた。