人生

「とっても共感。」

ふつうの人が9時から6時まで(または10時から7時まで)、ふつうにプログラムを書いていればふつうに生活ができる、という世界の実現は困難なのだろうか。

そうなるのが望ましいと思うし、社会が築いて来た雇用と云うシステムは、そういうもののはずだし。ただ、ふつうの人が労働を提供すればうまく回ると云うような技術が未発達で、実現が難しいのだけど…。

個人が技術を研鑽するのは良いことだけど、それが常態や義務であることを前提とするのは、問題がある。「みんなが努力すればうまくいく」は「努力しない人がいるとうまくいかない」ことを意味するからだ。そんな前提ではデスマーチがなくなるはずがない。まず「ふつうの人が集まってうまく行く」ような状態がいる。そこに、たまたま優れた人が入っていると、めっちゃラッキー! っとなるのが良い。そして、優れた人の努力、貢献をちゃんと評価するのだ。

業務のために、就業時間外にたくさん本を読め、と説く人々は、時間外労働を対価なしに(むしろ本代を払って)行え、と説いていることに他ならないはずだ。これを問題だと思わないのだろうか。私は非常に重大な問題だと思う。そのような行動をとらなければキャリアに支障を来たすというなら、それは業界そのものが深く病んでいるとしか思えない。

病んでる、病んでる。こういうことを言ってくれる人がいないと、病んでることに気付かないものだ。世の中複雑になった方が儲かる人が多いから、そういう方向に流れてしまうんだけど、よーく考えてみれば、それで儲かるのはベンダーや本屋さんだ。穿った見方をすれば「最先端はこっちですよぉ、あなたは遅れてますよぉ、未熟者ですよぉ」そんなプレッシャーをかけて金を払わせている訳だ。「あなたには霊がついてますよぉ、この壷を買わないと不幸になりますよぉ。」ってのと、なんか似てない? 「あのツールは使えないでしょ? このツールなら大丈夫ですよ。」ってのは、「あなたは人に騙されやすいですね。この壷を買えば、もう騙されませんよ。」ってのと似てる気がする…。(^^;

研鑽する人が病んでると言ってる訳ではない。業界が病んでて、なんか足が地に着いてない感じがするのだ。ふつうの人がちゃんと生活できて、そして研鑽する志の高い人が高い評価を得られるようになるのがいいんぢゃないかと云う話。

ふっと、自分の努力がどれだけ認められているだろうと振り返ってみた時に、自分が普通で周りが劣っていると思わされていないだろうか? それはとっても損なことだし、周りの人も不幸かもしれない。そうぢゃなくって、周りがふつうで自分がよく頑張ってるんだ、きっと。

頑張らない人が不幸になるのは病んでる。頑張った人が幸せになるのが健康なんぢゃないかな?