特権

「好き嫌いはどうしてダメなんだろう…?」

好き嫌いをしてはいけないと躾ける親は多いだろう。私もそうやって育てられてきた。おかげで特に好き嫌いはないので、どこへ食べに行っても困ったりはしない。

でも、ふと気付いてみれば、けっこう不公平な話だ。なぜなら、自分の嫌いなものを料理に入れないように、親だけは選択することができるからだ。親は、嫌いなものが入っていない状態で「お父さんもお母さんも綺麗に食べたでしょ?」なんて言う訳だからねぇ…。習慣化されてると気付かないかもしれないけれど、大人は最初から特権階級にいる訳だ。

仕事で、お客さんを接待するとする。「何か食べたいものはありますか? 苦手な食べ物はありますか?」なんて訊いたりするんだけど、「いやぁ…、生魚は苦手でねぇ…。」と言う相手に「好き嫌いはダメでしょ!」なんて言えない。そんなことより契約が大事だ。

最近はアレルギーもいろいろあるらしい。米アレルギーの人もいるそうな。蕎アレルギーの子どもに無理矢理蕎を食べさせて、死んでしまった事件もあったし、相手が食べないと言ってるものを無理に食べさせるのは危険だ。

自分や周りの大人、他人の子供の好き嫌いは認められる。どうやら、自分の子どもだけは好き嫌いがダメなようだ。なんか、おかしい。

子どもの栄養のバランスを考えて…と云う気持ちはあるだろう。例えば牛乳嫌いな子供のカルシウム不足を心配するなら、代わりに小松菜を出すなど工夫の余地はある訳で、好き嫌いがダメだと云うことにはならない。そして、本当に栄養のバランスを考えるのなら、どんな成分がどれだけ含まれているのか、体はどれだけの量を必要としているのか、調理方法や組み合わせで成分変化はしないのか、ちゃんと吸収されるのかどうか*1と云ったことを把握しないと、目的は達成できない。肥満だったり、虫歯があったりしたら、気持ちだけ空回りしていて、実質的な効果に疑問があるだろう。

こうして考えてみると、どうやら私が子ども頃に言われていた好き嫌いがダメな理由は、合理性を欠いたものだったらしい。私の親が子どもだった頃は、今のように食べ物が十分にある時代ではない*2から、好きだの、嫌いだの贅沢が言えるような状況ではなかったはずで、その時に受けた躾を引きずっているのだろうと思われる。

こんなことをつらつらと考えていると、好き嫌いがダメな理由を子どもにちゃんと説明できそうにもないので、うちではある程度の好き嫌いを認めることにした。味覚は変わってゆくもので、子どものうちは苦みや辛みはうまいと思わないだろうし、無理してピーマンを食べなくても、体に変調をきたしたりはしないだろう。「ぢゃ、これを料理に使うのはやめようか?」「それはわがままが過ぎる。ちゃんと食べた方がいいよ。」そんなことを話し合って決めている。子どもの嫌いの度合いと母親の労力のバランスを取ってるって感じだ。*3

ただし、残しちゃうと、せっかく作ってくれた人に申し訳ないから、食べ残しがあると食後のデザートはなくなると云うルールはある。

*1:日本人は牛乳を十分に分解できないから、牛乳からはうまくカルシウムを摂取できない、と聞いたことがある。裏は取ってない。

*2:社会的に種類も量も少ないばかりでなく、経済的にも安い食べ物を選択する必要があったはず

*3:他に、値段、栄養、リスク (農薬とか…)、食文化なんかも頭の隅にはある。