標準

Mighty Mouse はいいんだけれど…。」

プログラムを書くと云う職業は、「今日からプログラムを書きます!」って宣言しちゃえば、それでなれてしまう。「MacWindows って違うの?」ってな人でもなれる職業で、医者や弁護士みたいに免許は必要ない。いろいろ研究している人も、ハイセンスな人もいるけれど、指一本でキーを探しながらプログラムを書いている人もいる。それだけバラエティに富んだ業界で、複雑なマウス操作に適したプログラムをちゃんと開発できる人は、実はそんなに多くなく、マウスボタンが増えれば、それぞれのボタンに信じられないような機能の割当を行う人もいるのだ。

いろんな思想もある。マウスのボタンの数だけ言えば、Mac は 1 つ、Windows は 2 つ、UNIX の X-Window なら 3 つが標準で、標準を無視すれば、たくさんボタンのついたマウスも販売されている。選択肢が多くなればなるほど、それだけいろんな思想を表現できることになり、標準的なユーザーインターフェースが構築される可能性は低くなる。アプリケーション毎に、違う思想に基づいて開発されていたりする訳だ。ユーザーにとってそれがいいことなのかどうかは人によって見解が違うだろうけど、ホンダの車に慣れてしまうと、トヨタの車に乗るのがひどく難しくなるような事は、私にはいいことだとは思えない。自分がしたいことは他にあり、それ以外のことに費やす時間は短い方がいいからね。

Macユーザーインターフェースが、それなりに高水準を維持しているのは、マウスボタンが一つであったことが少なからず影響していると考えている。だから、Mighty Mouse が発売されたのはいいんだけれど、パワーユーザーがより快適にパソコンを使うためのオプショナルな選択であり続けてほしいと思っている。

標準マウスは従来通りのワンボタンマウスであり続けることを願っている。