表層

「見えること、解決しやすいことから手をつけるからダメなんだ。」

私が "問題" と云う単語を使う時、それは大抵 "解決することが望ましい課題" の意味である。たぶん、仕事中はこれ以外の意味で使うことはないはずだ。しかし、多くの日本人にとって "問題" と言えば、"責任を伴う失敗"、"面倒な厄介ごと" の意味が含まれているようだ。この感覚の違いはなかなかやっかいで、システム開発に取り組む姿勢が根本的に違ってきてしまう。

私など、出せるだけ問題を出して、それを解決していくことで完了へと近づいていくと考えているのだけれども、ここに失敗や責任みたいな概念が混入すると、問題発見の阻害要因となってしまう。欧米やアラブ圏なら、(運悪く) 困った状態に遭遇したと表現するのだそうだけれども、こっちの考え方なら、もしかしたらロジカルに事が進むのではないだろうか?

"ライト、ついてますか"の中に「誰にとっての問題か?」と云う話題が登場する。エレベータが込み合っているのは利用者にとっての問題ではあるけれども、ビルのオーナーにとっての問題は「クレームの電話がかかってくること」だったりするのだ。こいつは視野狭窄ぎみな私にはなかなか衝撃的なことだった。そして、どっちの問題もエレベーターが快適になれば解決するぢゃないかと思うのも甘かった。後者の問題だけに限定すれば、例えば電話線を引っこ抜くと云う解決策もありえるからだ。こいつがさらに大きな衝撃で、何を言っているのかしばらく理解できないほどだった。

まあ、エレベーターに限って言えば、実際にそのような解決がなされることはあまり考えられない。電話線を止めたところで、直接訪問してくる人もいるだろうし、テナントさんが出て行ってしまって、家賃収入がなくなることも困るからね。そしてなによりも "問題が見える" と云うことが大きい。

IT 業界の話に戻すと、"問題が見える" 部分が大きく欠けているために、電話線を引っこ抜くような局所的解決が行われてしまう。組織階層の上に行けば行くほど、本当の問題は見えていないから、彼らの問題と、彼らに見える問題だけが解決の対象になるのだ。具体例を上げると、文書の標準化なんかがそうだ。顧客から「あんたのところは文書の常識も知らないのか!」とクレームが来るのは、組織階層の上の人にとっては大きな問題だ。そして自分の目で見て分かる問題でもある。誤字脱字が多いとか、書式がバラバラだとか、ページ番号が間違っているとか、そういうヤツね。顧客は、本当は業務理解ができてないんぢゃないかとか、システムが本当にちゃんと動くのかといったことに不安を感じているんだけれども、そこは気付かないか、気付かないフリを決め込む。で、割と解決が進みやすい問題に注力して解決を図ることになり、標準化委員会とか、品質管理部門とかができたりする訳だ。だけど、これでは火を噴くシステム開発がなくなったりはしない。火を噴くシステム開発を解決するのが目的ではなく、文書の体裁が整っていない問題を解決することを目指したのだから当然だ。

「計画もまともに立てられないのか!」なんてゆー問題にも対応するのだけれども、これは途中で「計画書の書式もまともに整えられないのか!」に問題が変わっているかもしれない。見た目の整った計画書はいくらでも見つけられるけれど、まともな計画書はあんまりないと思うのだけれど…。

異常な文書体系がシステム開発の足を引っ張り、おかしな計画があちこちに歪を作り出す。世の中はこうして歪んでゆくのだ。