矯正

「ヒトモノコトカネ。ヒトモノコトカネ。」
ヒト、モノは、開発を進めてゆく土台になるもので、モデルの静的分析のさらに中核になるものだが…。

いきないアプリケーションの仕様としてまとめると、個々の仕様が何を基にしたものなのか根拠が薄弱になり歪んでゆく。歪むのは要求、モデル、ビジネスルールなどと呼ばれているあたりで、歪みを補正するための新たなビジネスルールが入ったりして、さらに歪んでゆく。こいつが修正の難しい大きな問題 (何年も引きずるでしょ?) なので、混入させないように、いつも必死になっているのだけれど…。

ふっと、「その歪みが、いくらの損害になるのか?」を考えてみたのだけれど、それが分からない。歪みを修正するために、倍のコストをかけて開発するとすると金額は明確に出る。歪みを修正しないとすると、果たしてその金額を上回る損害が出るのだろうか?

損害として思いつくのは、歪みを補正する日々の作業のコスト、本来実現できるはずだったメリットを享受できないためのコスト、そこから連鎖して起こる機会損失などだが、どれもこれも金額を算出できない定性的な話ばかりだ。損害は 0 円ではないのは誰しも異議はないと思うけど、1 万か 100 万か、1 億か、100 億か…は分からない。

通分して分子を比べる…みたいに、同じ土俵に並べて比較できればいいのだけれど、それは無理。実は "歪みがない" と云うのは理想であって、現実には成立しない。歪みがあることは発見できても、ないことは永遠に証明できない命題だったりする。であるならば、理想は幻想であり、後は妥協点をどこに置くかが問題となる訳だけけれど…。

「見えない問題は解決できない。」

損害は確かに存在するのだけれど、それを「見せる」ことは難しい。見せられないのなら、ないのと同じだ。当たってもない宝くじに夢を膨らませたりするが、その逆のようなものなのかもしれない。見えない以上は、損害はゼロと考えるのが妥当なんだろうか? …そんなことを悩みつつ…。

でもね、宝くじは万に一つも当たらないけれども、歪みは確実にそこにあるんだよ。