なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか

「確かにパチンコの CM ばっかり流れているのは問題だとは思うが…。」
パチンコやの駐車場に置き去りにされた子どもが死んでしまったりするニュースを見ると、胸が痛む。パチンコに中毒性があり、家庭崩壊に至る事例も知らないではない。

だが、しかし…。著者の論調では、私はパチンコ全廃にはとても賛同できない。

例えば…。パチンコの記事を書けばボツにされたことを取り上げ、ジャーナリズムが機能していないと書かれているが、ボツの原因はパチンコの記事だったことにあるのか? その点についての考察がないまま、パチンコ記事 -> ボツという結論と理解されているようだが、記事が稚拙だったり、偏っていたりして、掲載するに値しなかったからかもしれないではないか。

子どもが親を殺害して、そのままパチンコへ行った事例を取り上げておられるが、件数はたった 2 件。兆単位の経済を支えている産業を、たった 2 件の事例で全廃の論調へつなげることは無理があるだろう。交通事故の死亡者は確か年間 1 万人ほどだったと思うが、自動車産業を全廃するべきなのか?

その他、全般的に感情的、短絡的で、偏った印象を持ってしまった。

経済的リスクは金持ちが負うべきで、金持ちでないならリスクの高い博打に手を出さない方がいい。どうせ堂本が儲かる仕組みになってるんだから。それから、子ども手当の何割かがパチンコ手当になてしまっていることは想像に難くなく、とても残念なことだとは思う。親が自分の選択で不幸な結果になってしまうのは自業自得だが、子どもがその犠牲になるのは許せないとも思う。

だが、しかし…。パチンコを全廃すれば解決するのか? …違うんぢゃないか? 次の "パチンコ (不幸をもたらす原因とされる何か)" が登場するだけなんぢゃないのか?

私の読解力不足かもしれないが、本書からは "なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか" について、読み取ることができなかった。日本のジャーナリズム、政治家、警察の機能不全について書かれているが、そのあたりの韓国との差だと言いたいのだろうか? どうも分析的でなく、我田引水な感じなのだが…。

また、全廃後の韓国についても気になるところ。パチンコに流れるお金が消費に流れて経済が活性化したとの説明があるにはあるが、本当にそうなのか? そういう部分もあるとは思うが、水面下に潜ってしまった問題も少なからずあるハズだ。そのあたりはどうなんだろう?

なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)

なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか(祥伝社新書226)

私としては、単純に全廃するのでなく、有意義な他の何かを見つけて、そちらに導くような社会であって欲しいところ。簡単ではないのだろうけど。