オープンソース的なモノの土壌について、ちょっとだけ

「梅田さんの記事で、ひがさんが憤慨している件だけれども…。」
この記事だ。

梅田さんの記事に「有志がオープンに協力してある素晴らしい達成をなし遂げるといった公的な貢献──を育む土壌がありません。」と書いてあるんだけれども、これって、"彼にはそう見える" ってことだよね? 土壌があるかどうかの評価基準があって、そこに達していないってゆー証明をしている訳ぢゃぁなくって、シリコンバレーと比べて、土壌がないように見えるってゆー梅田さんの主観の話でしょ?

一方のひがさんは「オープンソースというのは、日の目を見ない地道な活動がほとんどだ。有名になるプロダクトなんてほんの少数。」と書いてらっしゃる。日の目を見ない活動をやってるんだから、外から見えないのは当然な訳で、言ってしまえば「見えない」「見せてない」とゆーまったく衝突してない話なので、「怒らなくてもいいんぢゃないの?」と、私は思った。

"オープンソース的なモノ" には、当然、オープンソースも含まれる訳で、オープンソースで活躍され、うまく行ってる実感を持ってるひがさんが、梅田さんの記事が気に入らなかったのが分からないでもないのだけれども…。

一応、少しばかり "オープンソース的なモノ" に関与している身ではあるのだけれども、私は梅田さんの言葉が貴重だと思った。(オープンソースの|日本の|IT の)外からどう見えるのか? ってのは、いつでも大切なことだと思う。それが中の実態を正しく捉えてるかどうかに関わらず、だ。だって、世の中は印象で動くからね。

日本に土壌があるのか、ないのか? その事実は私には判断できない。梅田さんが期待するほどには "ない" んだろうけれども、ひがさんが満足するぐらいには "ある" んだろうな、きっと。ただ、「技術もビジネスも、なんでもかんでもシリコンバレー発だよなぁ〜。」とは思っているので、梅田さんの感じていることは、現実とそうは違わないんぢゃないかな? 私はそんな印象を持ってる。

事実は分からないので、"日の目を見ない地道な活動" がたくさんあって、梅田さんが知らないだけなのが事実だと仮定しよう。でも、"見えない" のが事実ってゆーのは、共通認識なんだよね? きっと。だったら、"見せる" ってゆー点だけが足りてないってゆー解釈が成り立つ訳だ。であるならば…。

"オープンソース的なモノに関わる人たち" が、少しばかり "知らしめる活動" に力点をシフトするだけで、事態はゴロッと変わるんぢゃないのかな? ひがさんが…ってことぢゃなくって、"名前も活動も知られてない、たくさんの人たち" が…ってことなんだけれども…。いや、まあ、他人事ではなくって、我が身のこととしても「もっと見える活動をしていかなきゃなぁ…」ではある。(--;

そういえば、以前、渡辺千賀さんが「日本はもう立ち直れないと思う。」と書いて炎上したことがあったのを思い出す。

この手の "日本はダメだ"、"日本には土壌が無い" に、過剰反応するのが、私にはけっこう不思議に思える。書かれたソレが事実かどうかはさておき、「なるほど、なるほど。俯瞰してそー見える人もいるのね。」ってのは、とても興味深い貴重な意見だと思うんだけど…。

話が逸れてしまったけれども、言いたいことは、「少しばかり "見(魅)せる" ことに力点をシフトしませんか?」ってゆーこと。影響力のある人たちに「お、日本、いいんぢゃない?!」って思わせられたら…。それって、めっちゃ、おもしろいんぢゃないかな?

言うは易し行うは難し、なんだけどさ。(^^;