国語力か、英語力か?

「一つ上のレベルで合意をとってもらえないものだろうか?」

脳なんて使えば使うほど育つから、排他的に考える必要はないだろう。両方大事なら両方やればいいのに…。それよりも、"限られた授業時間" と云う "パイの取り合い" 問題として、議論をしていることの方が問題だ。そこは思考が固定化している。"授業を実施すれば子どもたちが習得できるも" そんなものではないことは周知の事実なんだから、習得効率を上げれば、どっちも入るんぢゃないの? と云う考えも検討してほしいのだが…。

それと、もう一つ上のレベルの合意が必要なように思える。"どんな授業を取捨選択するか?" の前に、"どんな授業を取捨選択するのが妥当かを評価する基準" についての合意が必要だろう。子ども達が大人になる 10 年後、20 年後をどんな社会にしたいのか? そのために必要なスキルとスキルの依存関係はどうなっているのか? そういうところから照らし合わせて評価してほしい。その上で、英語力も国語力も必要となれば、両方実現する教育方法を考え出せばいいし、国語重視学校と英語重視学校と分けてもいいし…。ま、見えないところでいろいろ議論しているとは思うのだが…。とにもかくにも、綱引きの結果、中途半端で役に立たないカリキュラムになってしまえば、それが一番時間の無駄になってしまう。妥協案*1なんてのはロクなもんぢゃぁないぞ。

まさか、職員雇用や教科書選定、学会毎の派閥争いとか、そんな利害関係で綱引きしている訳ではないと思うのだが…。

*1:折衷案は "両者のよいところをとって一つに合わせること。" なので、ここでは使いたくない。