正解

「日本で一番高い山と言えば…」

「日本で一番高い山と言えば富士山ですが、では、日本には鉄道の駅がいくつあるでしょうか?」などとゆーふざけた問題を書いてみたものの、私は答えを知らない。だけど、問題文を全部読めば、答えを導き出すことはできる。*1 そして、前段の部分だけでは、永遠に答えにたどり着くことはない。そんなことは自明ぢゃないかと思うのだが…。

少なくとも IT 業界は違う。問題が分からないのに、答えだけが出てきて、そしてプロジェクトは暴走する。

先日、発注元から「ちゃんと社内でレビューしてから、資料を持ってきて下さい。」とお叱りを受けた。当然の要求だ。そして社内の会議で「レビューを徹底するように。」と通達があった。しかし、これは正しい答えではない。なぜならば、「レビューは実施していた」からだ。本当の問題は、レビューが中身を伴わない形式的な儀式に過ぎず、ちゃんと機能していないことなのだが、通達した人間はそのことを知らないから、正しい答えが導き出せない。なんとゆーか…。「怒られた」→「対策を取らなきゃ」と反射的に動いているんだろうな、きっと。間に「正しい問題を見極める」と云うフェーズがぶっとんでいる。一事が万事この調子だから、プロジェクトが暴走しない方がおかしいくらいだ。

正しい問題を見極められる能力を持たないのに、意思決定権を持てることがおかしい訳で…。なんつーか…。飛行機のコックピットで、適当にボタンを押して、ちゃんと飛ぶのか? みたいな違和感を感じるのだけれど…。

やたらとドキュメントの書式に煩いところがある。大きい会社になるほど、「標準化」の名の下に、細かい書式と役立たない文書が大量に増えていくのだけれど、なぜなのか? 答えは「意思決定者が理解できる問題しか解決されない。」からだ。システム開発上の問題は山ほどある。本当は、それに優先順位付けをして、大きな問題から順に解決してゆかなければならない。あまりゴールに近づかないと考えられる問題は、後回しでかまわないのだ。だけど、そもそも問題が見えていないし、見えてる問題の中でも解決策が即答できるものばかりではない。で、どうなっているかと云うと、見えやすさと解決のしやすさで優先順位が決まってしまっている訳だ。問題の方の優先順位ではなく、回答の方の優先順位で進んでいる…って感じだろうか。

通し番号がそろっているかどうかがどれほど重要なのか? 見出しのタイトルのフォントの大きさが、顧客要求の分析に役立つのか? そんなものは、いくらでも自動化する方法があるし、必要なら書式を整える作業は、標準化グループがやればいいぢゃないか。そんなことより中身だ。何を訊き出さなきゃならないのか? 何を資料として残さなければならないのか? そこんところの曖昧さを排除して、変な日本語ぢゃなくって形式記述を導入するべきとちゃいますやろか?

*1:もしかして、Google で検索すれば、一発?