体質

「体質と云うか、企業文化と云うか、難しい課題だ。」
"http://www.asahi.com/national/update/0507/OSK200505070006.html"
「余裕を持って運転できるようにダイヤを見直す」のは顧客サービスの低下に繋がらないのだろうか? まあ、以前から尼崎駅でバッファを持たせることは必要だと思っていたけれど、「同じ事故を起こさない」ことだけではなく、「同じような事故を起こさない」ためには、他の駅もかなりの部分を見直さなければならないだろう。おそらく電車の運行本数を減らすことになると思うのだが…。TOC の考え方を基にして、うまい解決策を導き出せるのだろうか? などと頭をよぎるものの、私の興味対象はそちらではない。ダイヤは専門家がうまく考えてくれるさ。

気になるのは、日勤教育や情報伝達の見直しの方だ。安全性向上計画の 5 項目が上げられているのだが…。

  1. 安全を優先する企業風土の構築
  2. 運転保安システムの整備
  3. 列車ダイヤの見直し
  4. 安全を担う人材育成、教育指導のあり方
  5. 情報伝達のあり方

「安全第一!」なんてゆー掛け声で、安全を第一に考えるようになるのであれば、誰も苦労などしない。情報伝達を改善したところで、情報の扱い方を知らなければ効果は期待できない。では、どうすればいいのか? "ゴールドラット博士のコストに縛られるな!" に次のような記述がある。

どのような尺度で私を評価するのか教えてくれれば、どのように私が行動するのか教えてあげましょう。もし、不合理な尺度で私を評価するなら、私が不合理な行動をとったとしても、文句を言わないでください。

ダイヤの乱れに対するペナルティがあれば、それはダイヤ通りの運行ができるかどうかを評価していることになるから、ダイヤ優先の判断がなされることは十分にあり得るってことだ。こういうところまで踏み込んで、安全な運行が行われ、顧客サービスを向上させ、利益を確保する仕組みを構築しなければならないってことだ。こいつは難しい。

評価とは人事考査の事だけではない。終身雇用は崩壊しつつあるものの、長く勤められるかどうかは大抵の人にとって大きな価値を持つはずだ。強いストレスに嘖まれながら、10 年も 20 年も勤めたいとは誰も思わない。これは、上司ににらまれたくない、同僚と揉めたくない、すなわち上司からの評価、同僚からの評価と言えるだろう。

安全を重視するよりも、自分の権力を誇示することに快感を覚える上司がいるとする。その配下にいる人間は、安全を重視した自分の判断と上司の指示との間に矛盾がある時、上司の指示を無視することはかなり難しいはずだ。自分の判断を貫くってことは、その後の生活に大きなリスクを背負うことになるからだ。こいつを解決できるのか?

根っこにあるのは、和や連帯責任を重んじる文化だ。だから、組織的な判断を優先することになるのであり、組織力を高められる人間が力を持つことに繋がる。組織力を高める方法は、理想的なものもあれば、恐怖政治のようなものもあるのだ。必ずしも「いい人」が力を持つとは限らないのだ。ところで、ここぞとばかりに、ボーリング大会などの失態をあげつらっているが、これは同じ JR の職員としての連帯責任を取り上げていることになる。それ以上の合理的な説明はないからね。従って、重箱の隅をつついて攻撃を繰り返す行為は、連帯責任を追及していることになる。これでは、正しいかどうかの評価よりも、連帯性の評価の方を高める結果になってしまう。

ちゃんと説明できたかどうか少し自信がないけれど、言いたいことは、マスゴミがやっていることは、目的に対して逆行しているってことだ。連帯責任を記事にしていると、そういう評価基準を重視する方向に世の中が動く。正しい判断を行わせたいなら、そう云う評価基準を高めるようにしなければならないのに…。

「常識的でない行動」みたいな曖昧な評価基準では批判するのではなく、論理的根拠を示すべき。それが、不幸な事故を根絶*1することに繋がる道だと思うぞ。

*1:根絶は無理だな。限りなくゼロに近づけようとすると解釈してくだされ。