目的

「オイラは理解できないよ…。」
"http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050505/K2005050402210.html"
理解できないのは、JR 職員の行動ではなく、記事の内容だ。

救助活動をせずに、出勤していた。ボーリング大会を開催していた。それの何が、どのように問題なのだ?

救助活動をしなかった二人の職員が "人道にもとる" とする記事もあった。人道を基準とするなら、対象となるのは JR の職員だけではないだろう。事故を知りながら救助活動をしなかったすべての人が対象になるし、もしかしたら救助にもっと適した人が搭乗していたか、あるいは付近にいたかもしれない。自衛隊員、消防署員、医師、看護師、研修医などだ。そこんところはどうなんだ?

JR の職員は、電車を運転する任務が控えていたのだ。もし、任務に着くことができず、ダイヤが乱れていれば、更なる混乱を招いたかもしれない。何千人か何万人か分からないが、彼らが運転する車両の利用者にも生活があるのだ。それを優先することが、あたかも間違った判断であったと思わせるような記事を書くのはなぜだ? 彼らが事故現場に残ったところで、どれだけ役に立ったかは分からない。はたして、もっとたくさんの人を救助できただろうか? 逆に要領が悪くて足を引っぱっていた可能性もあるんぢゃないのか?

彼らがいなかったことによる効果と損失、残っていたとしたら、その時の効果と損失。両者を比べてみないことには間違った行動だったかどうか分からない。一方的に悪者に祭り上げようとする記事には、多いに疑問を感じる。

それからボーリング大会の件について。まず、事故発生当時は規模が分からなかったことを忘れてはいけない。写真、画像が報道され、死亡者の数が明らかになった状況を基にして批判するのはおかしい。彼らが手に入れた情報を基にして、行動を評価しなければならない。

それから、ボーリングに興じていた人たちが事故現場に来たところで、邪魔になるか、間違った指示をして、救助活動の妨げになっていたかもしれないことも考慮すべきだと思う。電車が脱線してマンションに衝突したと云う情報を聞いて、ボーリングを継続する判断をした人たちだ。彼らが「人命救助のために有効な判断、指示、活動ができる」と思うのか? 踊る大捜査線に出てくるスリーアミーゴーズみたいなもんだったら、現場にいたら足を引っぱるかもしれないのだ。偉いさんらがうじゃうじゃ来て、仕事が進まなかった経験が何度かある。危機的状況になればなるほど、「頼むから、口を挟むな!」「邪魔だから隅っこに行ってろ!」と怒鳴りたくなる確率は高くなるものだ。そういう判断を抜きにして、"救助活動に来なかった=悪" と云う評価は、間違ってないか? いなかったからこそ、被害が収まったのかもしれないのだ。

「責任逃れが染みついている。」と批判もあった。だけど、そんなことは当たり前だ。誰だって責任を負いたくはない。追及されたら、逃げようとするのが普通の心理だ。まして、負うべきでない責任まで重箱の隅をつついて追及され、批判に曝されるのだ。これで責任逃れをしなかったら、その方がすごい。奇跡だと思うぞ。自分たちが、責任逃れをする方向に追い詰めていることが分からないのか?

重箱の隅をつついて、本質的でないことを騒ぎ立てる体質が、事態を悪化させていると言えると思うのだ。いったい何がしたくて、そういうことをやっているのだ? 責任逃れをさせたくなければ、追い詰めるな。危機的状況で正常な判断をさせたければ、追い詰めるな。目的はなんだ? 同じ種類の事故が二度と起こらない状況を作ること、被害者に対する弁済を済ませること、被害者や遺族が心理的に日常を取り戻せること。大事なのはこういうことではないのか? 失態を見付けて暴露しまくっていては、被害者や遺族の感情を悪戯に煽るばかりだ。視聴率や販売部数なんかのために、被害者や遺族を玩ぶのはやめるべきぢゃないのか?

それから、次の事故発生確率も高くなってゆく虞がある。人は聖人君子を目指しはしない。責任の逃れ方、事態の隠し方が巧みになるのだ。追い詰めれば、追い詰めるほどに。今も、何かを隠そうとしている人がいるかもしれない。事故に関係があるか、ないかは無関係だ。何をネタにして曝し首にされるか分かったもんぢゃないからな。今回の事故の関係者だけでなく、次の事故の予備軍もだ。大きければ大きいほど、いろいろなことが隠されちまうぜ、きっと。

ニュースは中立? スケープゴードを仕立て上げるように、世論を操作してるぢゃねーか!