疎通

「理由を説明する責任があるんぢゃないの?」
ある行動なり、意思決定をこちらに頼む場合、その理由を説明するのは当然のことだと思うのだ。理由を説明しなくても明らかなら、わざわざ説明するのは冗長になってしまう。理由が明らかでないなら、通常は説明するのが当然だと思うのだが…。

「明日、ウチまで車で迎えに来て!」と頼まれたとしよう。相手が車を持っていないとか、目的地が同じとか、迎えに行く習慣があるとか、そういう場合なら理由は明白で、理由の説明をせずに行動を依頼して、意志の疎通に問題がないケースだ。

「今度、あのビデオ、持ってきてよ。」と頼まれた場合は、観たいからに決まってる。理由の説明がなくても暗黙の了解がある。だから、逆に、もし、それ以外の用途に使ったら、たぶん、揉めるはずだ。売っぱらっちゃうとか、空手の試し割りの練習で使うとか…。

一方で、仕事場で隣に座っているけれども、ほとんど話したこともない太郎君から、「明日はテレビを観ないでくれ。」と頼まれたとしよう。理由には何の心当たりもない。これは奇異だと感じるはずだし、理由の説明を求める方が普通だろう。理由も訊かずに、親しくもない太郎君の頼みを受け入れる人がいるとは思えない。

最近、文章でやり取りすることが多い。その場合は、いちいち確認する手順を踏むのが面倒だし、要望する際に理由を明記するのが普通になってると思う。意識してないかもしれないけれど、大抵の人はそうなっているのではないかと思う。でも、時々、そういう説明なしに、要望だけを伝えてくるケースに出会う。こういう時は、「うーむ」と唸ってしまう。

最近、欠勤連絡は電話でせよとの依頼があった。ここで取り上げる以上、理由は明示されなかったのだが、これは理由の説明を省略しても意志の疎通ができるケースではないと思う。連絡を受ける側の仕事の都合や同報性、それから記録と、明らかにメールの方が利点があり、仕事の上でも FAX や電話と並ぶ通常の通信手段として、既に十分に認知されているからだ。それなのに休む側の都合を無視して*1、一方的に通信手段を電話に限定するのだ。理由の説明があってしかるべきだと思うのだが…。

問題は、欠勤連絡が電話かメールかと云う話ではない。そんなことは、お互いに合意すれば、どっちでもいいことだ。問題は、お互いに合意に達するためのコミュニケーションの取り方だ。

議論を嫌い、曖昧に濁す文化、あるいは上意下達の文化と云うか…。お互いに都合や、考え方、価値観が違う中で、対等な立場でコミュニケーションして、論理的に物事を進めて行くことが下手な人が多い気がする。

なかなか、しんどい世の中だ。

*1:例えば、9:00 前後は病院にいるため連絡が難しいことが予想されるとかね。